証拠への橋渡し
マタイはうっかり記憶違いをしたのか?
「マタイは記憶違いをしたのか」という問いで証拠がどこまで届くかを正確に定め、後代の神学が元資料にない確実性を借用できないようにします。
この記事で確認できたこと
マタイ27章9〜10節はエレミヤを名指ししますが、銀貨三十枚と陶器師に最も近い資料はゼカリヤ11章12〜13節です。エレミヤ書には陶器師と畑の主題があります。複合引用という説明は文学的手法を説明し得ますが、元資料を明瞭なメシア預言へ変えるものではありません。
- 「記憶違い」と呼ぶのは分析ではなく修辞です。問題は複合的な帰属にあります。最も近い文言はゼカリヤにありながら、マタイはエレミヤを名指しします。古代の複合引用慣行で帰属方法を説明できても、「成就」は元の文脈から別途立証しなければなりません。
- 同じ資料第一の方法を、マタイの引用、「成就」主張、ヘブライ語本文に対するメシア論証へ広げたとき、より大きな主張はなお成立するでしょうか。
なお残る問い
この問いを解決した後、マタイの引用、「成就」主張、ヘブライ語本文に対するメシア論証全体は、マソラ本文、引用箇所の歴史的視野、マタイの引用形式を視野に入れても成立するでしょうか。
この本が次の段階となる理由
THE GOSPEL OF MATTHEW UNDER THE TORAH TEST は、複合引用という一件から、マタイの引用慣行、「成就」主張、ヘブライ語文脈に対するメシア論証全体へ同じ検証を広げます。
マタイの複合引用から同福音書の「成就」主張全体へ範囲を広げるには、THE GOSPEL OF MATTHEW UNDER THE TORAH TEST をご覧ください。
