証拠への橋渡し
イザヤ書7章14節が名を付けるよう命じているなら、イエスがその名を付けられなかったことをどう扱うべきか?
この記事では「イザヤ書7章14節が名を付けるよう命じているなら、イエスがその名を付けられなかったことをどう扱うべきか?」を判断基準となる一次資料と文脈に照らして検証し、確認できること、可能性に留まること、裏づけられないことを区別します。
この記事で確認できたこと
これは実在する成就上の問いを生みます。ただし、この一点だけでキリスト教側のあらゆる読みが崩れるわけではありません。
- 確認済み:イザヤ書7章14節は子どもがインマヌエルと呼ばれると述べます。
- 確認済み:マタイは個人名イエスを付けつつ、インマヌエルの言葉を適用します。
- 成立し得るキリスト教側の説明:インマヌエルは個人名でなく「神は私たちと共におられる」という称号です。
- なお未解決:なぜアハズ時代のしるしを七百年後のイエスへ移すべきか。
なお残る問い
この問いを確定した後、検証を「マタイの引用、成就主張、ヘブライ語本文に対するメシア論証」へ広げても、同じ資料基準の下で主張は成り立つでしょうか。
この本が次の段階となる理由
THE GOSPEL OF MATTHEW UNDER THE TORAH TEST は、この個別の問いから「マタイの引用、成就主張、ヘブライ語本文に対するメシア論証」へ同じ検証を広げます。関連語が重なるからではなく、未解決の証拠問題を直接引き継ぐためです。
「マタイの引用、成就主張、ヘブライ語本文に対するメシア論証」をさらに検証するには、THE GOSPEL OF MATTHEW UNDER THE TORAH TEST の書籍ページへ進んでください。
