証拠への橋渡し

いったい、その話はどこから出てきたのか?

「いったい、その話はどこから出てきたのか?」について、使徒言行録が引用するトーラー/タナハの本文と、そこから導く制度的結論を基準に、何が確認でき、何が可能性にとどまり、何までは正当化されないかを限定して判定します。

この記事で確認できたこと

使徒言行録24章5節はパウロを「ナザレ派」の首謀者と呼びますが、これは敵対者による法廷での告発です。この一文だけでは、パウロが後代のユダヤ的キリスト教ナザレ派の指導者だったことも、その運動の異邦人向けハラハーも確立できません。

  • 確認済み:使徒言行録24章5節は、告発の中でパウロを「ナザレ派」の指導的人物と呼びます。
  • 確認済み:使徒言行録24章14節では、パウロは自らの運動を「この道」と呼び、律法と預言者を信じると述べます。
  • 使徒言行録24章5節からは未立証:パウロが、後代の教父資料に描かれるナザレ派教団を率いていたこと。
  • 未立証:ナザレ派またはエビオン派の異邦人実践に関する後代の報告を、そのまま使徒言行録へ逆投影できること。

なお残る問い

この問いを確定した後、使徒言行録が引用するトーラー/タナハの本文と、そこから導く制度的結論を同じ基準にしても、神学が制度的方針となり、トーラーの区分から離れていく場面を検証することという広い主張は成り立つでしょうか。

この本が次の段階となる理由

THE BOOK OF ACTS VS. THE HEBREW BIBLE は、この個別問題から、神学が制度的方針となり、トーラーの区分から離れていく場面を検証することへ範囲を広げます。同じ資料統制と立証責任を保つため、無関係な販売誘導ではなく、この調査の次段階となります。

未解決の問いを十分な資料範囲で検証するには、THE BOOK OF ACTS VS. THE HEBREW BIBLE をご覧ください。本書は、神学が制度的方針となり、トーラーの区分から離れていく場面を検証することを扱います。